知らなかったこと

2011年11月21日

何日か暖かい日が続きましたが、今日は空気が冷たいですね。

暖かくして過ごしてくださいね。

我が家は娘のかんなが1歳を迎えました。

あっという間ですねー^^

最近は「これして」というように、なにか持ってきたり、

抱っこしてほしいときに自分から近づいてきたり

意思と主張が目に見えるようになってかわいいです。



思うようにいかない、と感じるとき。

もしかしたら無意識が設定しているゴールと

自分の理解して目指しているゴールの間に

大きな葛藤があるかもしれません。


私たちの心には、自分でもわかる部分(顕在意識)と

わからない部分(潜在意識、無意識)があります。


わからない部分は、わからないでいる間は

ないものとして扱ってしまうことがほとんどです。


ところが、このわからない部分(潜在意識、無意識)は

わかる部分(顕在意識)をはるかに上回る広さ深さで存在しています。


心の領域を区分けすると、わからない部分は90%以上に及びます。

そしてこの部分、わかっていてもいなくても

私たち自身として機能しているのです。


そこには過去、とても扱いきれなかったネガティブな感情や

ショックな出来事、それにまつわる気持ちや、そこから生まれた観念など

傷といわれるようなものや世代間の連鎖まで

いろいろなものが詰まっています。

もちろん、何かの誤解から封印された自分の才能や魅力まで。


これは心の仕組みの本当の基本ですが

わからない部分に私たちがたくさんの影響を受けているということを理解する入り口ですね。


どうしてかそうなってしまう(意思と反して)

なぜかうまくいかない(がんばっているのに)

というとき

私たちがないものとして扱ってきた自分自身(潜在意識や無意識の領域)が

こっちを向いて。といっているのかもしれませんね。


そしてもうお気づきかもしれませんが、

理解するところは思考や顕在意識の領域。


ですが、傷や、うまくいかない、コントロールできないものの

原因があるところはというと、潜在意識や無意識の領域です。

とすると、いくら理解しても・・・ということが起こるのも無理はないのです。

本質的なところは手付かずの状態、そのままなのですから。




たくさんの知識や情報を手にして理解が生まれても

改善されないとか解決できないとき

頭や顕在意識での理解と

大きな潜在意識や無意識との間では

理解が生まれる前と変わらず、葛藤が続いているのかもしれません。

なので、わかっているのにできないと

また自分を責めてしまわず、ほんの少しずつでも

自分の心に意識を向けてあげましょう。




無意識を意識化してあげるときには

行動や感覚に注目してあげるといいんですね。

そこでは自分を本当に偽り続けることができませんから

あれ?という発見やなぜだろうという疑問が生まれたりします。


わからない、でも自分の一部である潜在意識や無意識に

ちょっと関心を持ってあげるというのは

自分に愛を向けるという行為です。



もちろん1人で無理をする必要はありません。

うまくいかない行動や、(うまくいくと思ってしていても、です)

体に起きている感覚。

(重たいとか、軽い、冷たい暖かい,固いやわらかいなど。難しく考えなくて大丈夫ですからね^^)

それをあまり軽視しないで受け入れることです。

慢性的なものは間違いなく何かのサインですからね。


そして傷ついていたとしたら。

それを否定や否認で無視し続けるのは終わりにしましょうね。


ずっと一緒に人生を歩んでいる自分自身を味方にして

キチンと受け入れてあげるときです。

誰かに優しくしてもらったり受け入れてもらっても

ネガティブな思考や感情がとまらないとしたら

24時間一緒の自分が自分を見捨てているのかもしれません。

そんな自己否定感はうまくいかないやり方の一つですし

反対に自己肯定感は楽しみ喜びつながりなどへと続くものですから。






たとえ目の前にいなくても、私も応援させてもらっています。


一歩一歩で大丈夫です。

一進一退に思えても、実は順調に進んでいたりします。


大きな変化には私たちは怖れを持ってしまうものですし

せき止めていたものが流れ出すということは

ネガティブな気持ちが出てくるということでもあったりします。

そんなときは、自分にいっぱい優しくしてあげてください。

ずっと、隠して、ずっと我慢させてきたのかもしれませんが

受け止めてあげましょうね。

こんな気持ちを持っていたんだね、って。

もしも傷ついているところがあったとしたら

痛いと感じるのは当然ですし

手当てや休養をするものですよね?




不安、という漠然とした感情があるとき

私の経験からですが

自分が自分を受け止め切れていません。


ちなみにそれにも原因はあるものですから

そんな自分を責めないであげてくださいね。


いままでしてこなかったこととして

心と向き合うこと。

それもやってきた、と思うこともあるかもしれませんが

相手は自分なのにも関わらず

意識することのできない広大な領域です。

もっと、というときなのかもしれません。

心とは自分自身ですから、そこを大切に扱うことは

とても大切なことです。



何かの参考になれば、幸いです。


今日も読んでくださってありがとうございます。

・・・PC調子悪いですー・・・

私もリニューアルの時期なのかもしれません。。^^




































cs_u_u15 at 20:30

2011年11月03日

本日は東京で感謝祭です。

私は今回はお留守番ですが

とてもお得なイベントなので、

参加して楽しんでいる方たちのことが

気になります(笑)

私も今日は大好きな友人と子どもたちと楽しみます。


前回の記事で(いつもこれ^^;)

私がイメージや瞑想がまったく苦手だったことを書いています。

できないと思っていました。


そのことについて思うことがあったので

よろしければお付き合いください。


できないと思うに至ったことを

より詳しく見ていくと、

私の中に「やり方がわからない」という思いがありました。

とりあえずでもただやってみたらいいんですが

そういうシンプルなことはできませんでした。

頭で「どうやって?」と考えてしまい

その思考によって、納得できないから進めないというように

結論付けていたからだと思います。

結論というのは一回出してしまうと

それがまるで真実のように自分の中に生きてしまうものですね。



以前の私は目に見えないものをまったく信じていませんでした。

それにもまた理由はありますが、それはまた。

とにかくそういう世界への抵抗があったのです。

否定的な見方、というか。


わからないというのは、怒りの表現でもありましたね。。。

信じられないという裏側には、

裏切られたという思いがあるものです。

目に見えないもの、スピリチュアルなものや

あいまいさ、全能であるはずの神様に対する

私の思いでもあったと思います。


わかるように説明してほしいという

欲求もありました。

心では抵抗していて、認めたくないという思いもあるので

裏腹に、説明できないものでしょう?という

批判的な気持ちもあったわけです。


なので簡単にはできるという結果が

手に入らなかったんだと思います。


できてしまうと、私のその考えが間違いだということになるからです。

今思うと、間違えていてもいいことですし、

それなら訂正するだけなんですが

そうすると、今まで認めてこなかった

目に見えないものを、認めていくしかなくなります。

認めたくなかったものを認めていくというのは

本当に大きな変化ですし

その変化において、

いろいろなネガティブな思いも出てきます。

だったら苦しいけど、変わらなくてもいいや、

なんて思ったかもしれません。


私は「やりかたがわからない」という、

もっともらしいことを言い訳にして、

新しいチャレンジや、視野が広がることよりも

それを認めたくない自分を優先していたような感じでした。


この、わからないという言葉。


以前は私の地雷ワードでした。


わからないといわれると拒絶されたように感じて

とてもつらくなってしまうので、

それ以上、わかってもらうための働きかけはできませんでした。


これ以上、この気持ちを感じたくないので

「もういいです」と思って、

コミュニケーションを自分からやめてしまうのです。

もちろんそんなとき、

「相手がわからないっていって拒絶したから」

と、ちゃっかり相手のせいにしていました。


そうすることで、そこに隠れている

なぜそれが自分の地雷ワードなのかということとも

ちゃんと向き合ってあげませんでした。


わからないという言葉は、実際に

否定や否認にも使いますし、拒絶にも使われます。


一歩進んで、わからないから、

知りたいとか、いまはわからないけど経験したい、

教えてもらいたいなどという発展した使い方もできます。


前者はクローズな感じで使われ、遮断することで

自分を縮こまらせ、停滞してしまいます。


後者はオープンな感じに使われ、繋がり、

拡大していくという変化を生み出します。


わからないものとであったとき、

それは恥ずかしいことではありません。

教わったことがないだけ、知らないだけなのかもれないのです。


自分のペースで大丈夫ですから

ほんのちょっと、参考にしてみてもらえればと思います。

私ももっと自分の世界が広がるといいなと思っています。

わからないことに出会ったとき、

たいていびびってきましたが、

これからはときめいていきたいです。


今日もお付き合いくださってありがとうございました。























cs_u_u15 at 12:00

2011年11月02日

気がつけば11月になっています^^;

今日もいいお天気でしたね。

我が家では小学生のかったんが

校外学習でおべんとう持ちでした。

プラネタリウム初体験^^

遊覧船に乗ったりととても元気になって帰ってきました。


癒しに関連したお話では

よく、ゆるみましょうとか

休みましょうとかいうことを目にしたりします。

もちろんそれも大切なことですし

活力を取り戻すためにも

自分と向き合うためにも

有効なものです。


ですが、これもまた人によったり

そのときの状態によってなのです。

ある人にはもっと効果的なことがあったり

あるときはこっちのほうがうまく行く、というように。


心を扱うお仕事をしていながら

以前の私は、瞑想やイメージを使うことが

とても苦手でした。

ずーーーーーーっと

「できない」と思っていました。

チャレンジする機会はありましたが

うまくいかないと思うことが多くて

「できない」ものだと思っていました。


なかなかうまくいかないので

効果も実感できなかったものでした。


うまくいかないことでやり続けて

どうなったかというと

モチベーションが下がりました。

そして再び、そのことを使って

ネガティブな感情と戯れることに・・・(笑)


まったくやめてしまう必要はありません。

私もなぜだか、いつからか

できるようになっていましたし。


大事なのは方法ではなくて

自分が元気になれることですからね。


1人静かにするほうがいいときも

思いっきり発散するような活動をしたほうがいいときも

これもまたバランスです。


自分が好きなことから、というのがとても大切です。

そして、それがいまの自分に、

自分の状態に合っているのか

うまくバランスをとることでスムーズな流れが生まれます。


両方を取り入れてもいいし

使い分けてもいいということです。


今日、たくさん新しい体験をして帰ってきたかったんを見て

休むだけじゃ、元気になれないよね、と思いました。

休んで、楽しんで、子どもはとてもシンプルに

元気を回復します。


頭でっかちになると忘れてしまうことを

体で教えてくれます。


かんなが寝てしまったので、かったんが

今日の出来事をいろいろ話してくれて

私もとてもうれしく思いました。


ときどきかんなのお昼寝がずれたり

多いんじゃないの?ということも

バランスをとるという視点で考えると

手がかかる小さいほうに、どうしても傾きがちな私の意識を

上の子に傾けることができる機会だったりして

必然のようにも思えます。


寒暖の差が激しくなっていますから

風邪などひかないように

ご自分の体をいたわってあげてくださいね。


今日もお疲れ様でした☆




















cs_u_u15 at 17:34

2011年10月29日

こんにちは。秋が深まってきましたね。

暖かく過ごされていますか?


なにか問題があったり、現状に満足できないことがあると

それを変えたいと思うのは、私たちの自然な姿かもしれません。

どうしたら、もっとよくなるだろうとか

どうしたら、ここから抜け出せるだろうと

考えて、考えて、

だけどなぜかうまくいかなかったり

その原因もわからない、こうしたらいいんじゃないかとやってみるけど。。

また似たような問題にぶつかった・・・そんな経緯があって

カウンセリングを使ってくださるようなことも多いかもしれませんね。

(自分で何とかがんばった、そのことは認めてあげていますか?





解決を求めているとき、

なにによってそれを成し遂げようとしているのか、知っていますか?

私が感じることですが

多くの人は、考えて行動することで問題と向き合います。

頭と体だけで、進もうとしているような感じです。


ですが、私たちは、頭と体、そして心もあって

初めて「私」ということができるんですね。

心を置き去りにしたままだと、自分の求めるものが

わからなくなったり、外側の価値観に振り回されて

満足からは遠いという人生を歩き続けてしまいます。

なぜかというと

満足を感じられるのも、やっぱり心だからですね。




頭も体も大切ですが、偏ってしまっていると

いまどこにいるのか

なにを求めているのか

どこに向かっているのか

なにが嫌いで好きなのか

そういう、自分、というものがうまく認識できなくなります。


自分はこういう人間だという

外側との関係の中で学んできた、間違っているかもしれない

思い込みに突き動かされてしまったりします。




まずは自分自身を知ること。それはとても大切なことです。

大切なあなたの、大切な自分です。


心の声を聞く、といいますが

自分が今なにをいやだとか、問題に感じていて

どういう状態がほしいのか。


もう少し掘り下げてみると、なぜそうなったのか

いままで自分がどんなことを大切にして生きてきたのか

それによって何が手に入ったのか、手に入らなかったのか

そういうことも見てあげられるといいなと思っています。


そうして初めて問題の本質と向き合ったほうが

より「自分」として対処できると思います。


自分にも興味を持ってあげて欲しいです。

興味を持つということは、愛するということのはじまりです。

自分を愛することは世界を愛することと同じなんですね。

愛したい誰かのことも。


ときには、行動しなくては、という思い込みを横において

自分の気持ちを聞く時間を持ってあげてくださいね。


なにかしようとすることも、過ぎてしまうと

自分(感情)や、問題の本質からの逃避になってしまいます。


どんな感情でも、自分を知ることに役に立ってくれたり

人と関わるときに役立ってくれたりします。

こう感じることあるよね、ってわかるようになります。


感情に振り回されてしまうとか、抑圧して持ち続けてしまうことが

問題を生んでしまいますが、

ただ感じていることは、そうだったんだね、って受け止めてあげてくださいね。

感情は意外と子どもっぽく、私たちと同じように

誰かに認めてもらいたいだけなんです。

(とっても認めてもらいたがりじゃないですか^^?


そして、とてもひどい感情とであってしまっても

それは終わらせることができるチャンスですからね。


自分が何もしなかったとしても

冬が来て、また春がきます。

毎日夜はやってきますが、必ず夜明けを迎えます。

それが自然なことで、本当に信頼しても大丈夫なことのように思います。



自分では気づけなくても、自分の邪魔さえしなければ

自然に変化していけるものです。


逆に、心や感情にどっぷりしてしまって身動きできないこともありますから

やはり自分はどっちなの?ということを踏まえた視点で

記事も参考にしていただけるとうれしいです。



いつも関わってくださるみなさん、

ブログを読んでくださるみなさんを応援しています。



































cs_u_u15 at 13:23

2011年10月24日

ときどき、HPなどを見て、「こうしたほうがいいんだと思うけど、できない。」

そんなお話を伺うことがあります。


それは、それでいいんです。

許せないなら許せない自分に正直に受け止めてあげるほうが

大事なときがたくさんあります。

結果として、許せるという状態になれたら、楽ですし

違う方向からアプローチしていくことで

許せない気持ちが気にならなくなっていくこともたくさんありますが、

今、自分が感じているところを受け止めてあげて

初めて「自分」として、考えたり選んだり行動したりということができるようになります。

そうでないときは、社会的には、一般的にはといった、自分以外の

価値基準を採用してしまいます。

そしてどんどん自分とのつながりを失ってしまうのです。

そうすると、なにか楽しめない、手に入れたものに価値を感じられない

そんな症状を持つようになってしまいます。

なので、いま、許せないと感じている自分をまず許してあげて欲しいんです。


許せないけど、我慢するというのは

本当に一時的な避難策でしかありません。

それがかえって自分を「許せない気持ち」に釘付けにしてしまいます。


私たちは誰もがネガティブな感情を感じたくはないものです。

ですが、それを「臭いものには蓋をしろ」とやってみても

いずれは蓋からも漏れてきてしまいます。

蓋をしたので、しばらくはその存在も忘れていたりしますが

キチンと処理したわけではないので、

そこにあり続けてしまいます。


相手を思いやる気持ちで、我慢することもたくさんありますが

結果、自分が苦しみ、相手との関係もぎくしゃくしてしまい

そうなってみてはじめて、蓋してたことに気がついたりします。


ですが、関係を維持するためや、よりよい関係を目指してしたことなんですよね。


でも、結果が違ってしまうとしたら、そのやり方はちょっと間違っているかもしれませんよね。


感情を感じるというと、=怒りをぶつける、と思ってしまうと

感情は抑えたほうがいいと結論付けてしまいますが、

怒りをぶつけるという意味をつけているからなんですね。


本来は感情はキャッチしてあげて、自分を知り活用するためや

人生をより豊かにするために存在しています。


まずは、怒りをぶつけるという意味づけを外してあげてくださいね。

感じていることを自分で受け入れてみる。

今、こう感じているんだ、と自分で理解してあげる

行動はそれから選ぶものです。


あまりにも我慢が過ぎると、衝動的に出したくなりますが

それはちょっと、とみなさんわかってはいるんです。

でも、できないこともあるんですね。


例えば、今回はHPの記事に関してでしたが

情報を鵜呑みにしてしまうと、より苦しくなることもありますから、

できない自分をどうか責めたりしないでくださいね。


自分でも気がつかずにかもしれませんが

許そう許そうとしてきた人が、

許せといわれれば、まだやらなくちゃいけないの?と思ってしまうのは

いけないことではないわけです。

あるよね、と思いますよ。

そこで、気づかなかったけど、いつも誰かを許そうとしてきたとか

自分にとっても厳しいとか、自分に感じることを許してあげられない、

ということに気づいてあげられるといいんです。

現状を知る。

それからやっと、関係を維持するために、よりよい関係を目指していくという

目的に向かって対処できるのではないでしょうか。


できないと、自分と喧嘩するより

いたわってあげて欲しいと思います。


みなさんの毎日がより楽しいものになりますように☆












cs_u_u15 at 13:18

2011年08月23日

今日は気温がまた上昇していますね。

昨日娘が予防接種を受けて、今日は少し熱を出しています。

小さいヒエピタをおでこにつけて、いつもよりちょっとおとなしいです。

今は隣でおもちゃじゃないものを手にとってはいじったりしています。

早く熱が下がるといいなと思います。

おんぶしてないとぐずぐずしてしまいます。

そういうことは珍しいので、今日はおんぶだな、と覚悟しました。。





ほんの小さなことで怒りを感じたり

相手を拒絶してしまうこと、ありませんか?


出来事はほんとに些細なことだったりするのに

もういや、とか許せないというような感情が

とても強く大きく感じてしまうようなことです。


そんな時、自分の心のコップがすでにいっぱいいっぱいです。


ちょっとずつちょっとずつ

傷ついた感情が入っているコップです。

自分のキャパ、みたいなものです。


それが溢れるほどにいっぱいなので

もうほんのちょっとでも

理性的に自分を保てないような感じです。

もうこれ以上持てない、という限界なんですね。


出来事はちいさくても

それに関連して出てくる感情と

コップいっぱいの感情が合わさって出てきてしまいます。

きっかけの感情以上に感情が膨らんでいますから、

とてもつらく感じますね。


大人は感情をむやみにぶちまけたりできませんし

我慢することも多いです。

そうすると感じないために多くの行動の動機が逃避になってしまったり、

それでも感じられなければ違う形で表面化してしまったりします。

それはいずれにしても、気づいてもらいたいからです。

あなたに気づいてもらいたいけど、気づいてもらえない、感じてもらえないとき

何か別の形で現われて、誰かを通して気づいてもらおうとしてしまうのかもしれません。


ゆとりがないときは楽しいことも楽しめませんし

本当の意味で自分の人生にも、誰かと関係を気づいていくことも

心にはいってきません。

いろいろなことをやっているんだけど

心が置き去りなので、自分自身で主体的に関わっている感覚ももてませんね。


心のコップは循環させてあげることができますし

たまりすぎた感情は抜いていくこともできます。


私もちょっと小さいことで腹が立ったんですが

積み重ねがありました。

こういうことがいやでこういうことを求めているんだなぁと思ったら

またゆとりができるんですね。


ゆとりがあればいろんなことを楽しめますからね。


みなさんの心のコップはどうですか?


いろんな感情を感じるものですが

循環していつも澄み渡っていたらいいですね。


自分を責めてしまったり縛りつけようとしたりせず

ただ受け止めてあげてくださいね。


いっぱいになるまで走り続けてきた自分に優しくしてあげてください。



・・・発熱中のかんなは体が熱くておんぶはかなり汗まみれです!


今日も読んでくださってありがとうございます。













cs_u_u15 at 14:49

2011年06月13日

かんなが歩行器でよく動けるようになってきたので

思い切ってお部屋のレイアウトを変えたり、要らないものを整理しました。

お部屋自体が広いわけではないので、工夫して

思った以上にひろーくなり、すっきりしたので満足しています^^

かんなのおかげで必要のないものをたくさん捨てられたりします。

以前よりもお掃除もマメだし、きれいなお部屋は気持ちがいいですね。


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜


今日はお兄ちゃんのかったんのお話です。


かんなとの年齢差が9歳なので、いままでのかったんは一人っ子で

たぶん、そういうことを認識する必要もないくらいに「ママはぼくのもの」でした。

お父さんもいませんし、競争相手は皆無、

一人勝ちの状態で過ごしていたわけです。


ところが最近のお母さんときたら(笑)


かんなにかわいいかわいいといって

ぼくにはあれしてこれしてって言うし

ちっともかまってくれない!


そんな感じが言葉の端々から感じられます。

私にとっても初体験ですが、結構愛しにくい態度をしています(笑)

かんなには「ぼくのお母さんだよ」と言ったりしていました。


今までの私はどこかで「傷つけないように」というニュアンスで

かったんに関わっていた部分があったようで、

「ぼく傷ついちゃってるよ」

という感じのかったんに罪悪感を感じてしまっていました。


だって、かんなは赤ちゃんで、初めての女の子で

小さくて、いつも正直に笑ったり泣いたりしてくれて

わかりやすくて、とにかく、かわいくて・・・

かったんと比べるととっても愛しやすい態度をしてくれますし

まだ手をかけてあげないとできないことも危ないことも

本当にたくさんあるんです。


それはかったんも小さいときはそうでした。

母親としては今以上に未熟ですから、

そういう意味でも、私の中にちょっとごめんねという気持ちがあるみたいです。

もちろんそれでもかわいかったですし、そのときの自分なりには

精一杯かわいがったんですけど、忘れられています(笑)


でも、そんな思いを持ちながらも、

私の様子も見てくれているんですよね。

だいじょうぶかなって

何かお手伝いできるかなって

子どもは本当に親が好きで、役に立ちたいって思っているんだなぁと

しみじみ感じます。


さみしさがたまると、泣いたりしていますが

泣いて、気持ちを出せると、驚きの速さで

立ち直ってくれて、再び優しいかったんに戻っています。


傷つけないようにという関わり方だと

どうしても遠慮したりしてしまっていましたが

傷ついても立ち直るかったんを見ていて

傷つけないようにと思って遠慮してしまうよりは

かったんが傷を癒せることを信じて関わっていくほうが

大事なことなんだなぁと思いました。


人間の成長過程で「傷つかない」ということが

そもそも無理でした^^


私がかったんを傷つけないという姿勢は

かったんが赤ちゃんみたいに扱われたいというのと同じく

無理があることなんですよね。



傷つかないように、傷つけないようにという思いが

関係の中での距離になっていってしまいますから

それよりはいつも全面的に関わること

遠ざかるよりも

見守ることやコミュニケーションをすること

遠ざからないこと

そして無理なことを目指さないことを選んで行きたいなぁと思います。




























cs_u_u15 at 11:44

2010年01月14日


今日は気持ちよく過ごせていますか^^?


私は普通です(笑


普通よりちょっと気持ちはのんびりしています♪


お休みなので.。゚+.(・∀・)゚+.゚


ちょこっとした手術を受けるので会社を休んでいるという感じです。


今日は以前に手術を受けますとこちらで書かせていただいてから


なんとなく感じていたことを書かせていただこうと思います。





みなさんは「変化」に気づけてますか?



日々の中で、誰かの変化や、自分の変化



太陽が沈む時間、日差しの強さ



木々の緑の変化



いろいろな変化がありますよね。



永遠にそのままのものというのはあまりないのかもしれません。



人も日々成長しますし(大人になっても♪



環境もやはり変化していますから。



変化は常にしているものなんだと思います。



私が今回手術を受けるのは



もちろんそのほうがいいからなんですね。



そして同じ疾患で、今回6回目なので



本人は慣れているというか・・・



術後にほとんど痛みもないですし



対処することのひとつ。なのです。




初めてその部分を切開したときは小学校6年生でした。



何でこんな痛い思いしなくちゃいけないんだろうって思いました。



でも、痛いのは我慢しなくちゃいけないって思っていたので



ただ黙って耐えて、泣いていたかもしれません。



何度も繰り返すので、もしかしたら病気なのかなと思いました。



そして現在は専門の皮膚科に通っているわけです。



先生いわく、

「何の病気か知らないでいたから、治療はしてこなかったのと同じ」

だそうです。



わたしも、以前に処置してもらっていたお医者様も


病気のことを知らずに対処していた、


知っている人からすると対処になっていなかったわけです。




そんな経験から私は体というものに興味を持ち始めます。



なんでそうなっちゃうんだろうっていうことや



自分でできる予防みたいなことはないのかなとか



こうしてみたらどうかなとか



そんな些細なことなんですが



この意識を向けてあげるということ、とっても大切ですよね。



愛の反対は無関心だといいます。



わたしは多分自分のことが嫌いで、その体も嫌いで



そういう時期が長かったので、大切にするとか



愛するということも長い間、全然ぴんとこないという感じでした。



今はちょっと疲れているなとか、がんばっているなとか



なんとなくでも気づくことができます。



気づかないときに指摘してくれるカウンセラー仲間もいたりします。




そしてその病気がわかったときや、再発や転移があったと知るたびに



どうして対処してもなってしまうんだろうって感じました。



でも振り返ってみると、



そのおかげで休めないわたしがお休みする許可になったり



体に興味を持つということ、大切にするということに



また意識を向けるきっかけになっていたり



そこから何かのバランスの崩れに気がついたりします。



繰り返し




身体的にはいい変化ではないようでいて、



意識的には自分の成長にも役にたってくれていたりします。





カウンセリングを受けていらしたり、



こちらのHPをご覧の方の中には



変化ってきっとあると思うんです。




何かに気づいたり、今までそんなに感じなかった感情が



よりリアルになったり。




それは癒しがおきているということです。



うまく自分からのサインをキャッチしてあげられないときは



こちらのカウンセリングを使ってみていただけたらと思います。




わたしも書かせていただきながらですが



自分のことはよくわからないんですね。



今までの自分というところと



今の自分にギャップがあるとなおさらなんです。



そんなときは信頼しているお友達や先輩に聞いてみたり



聞いてもらったりしています。



・・・これは問題解決も早いですし



昔一人でがんばろう、何とかしようとしていたころのわたしを思うと



本当に幸せで、なんとも自然な気もします。



その頃のわたし=何も知らないわたしかなと思います。



何もわからないままに対処しようとするのは難しいですよね。



わかる人に援助してもらって、やってもいいと思います。



わたしがこの病気を、専門医に対処してもらうことで



改善されたり、悪化せずにすんだりしているように。



わからないことは恥ずかしいことではありませんよね。



感情に関してや、心について明確な教育はまだなされていませんから



知らないということのほうが多いわけです。



その知識や経験が豊富な人に援助してもらうことは



がんばってがんばってきた自分の



より真実に向かうチャレンジなのかもしれません




わたしも学び続けようと思います。



わからないことはたくさんあって



知らないこともまだまだあって



それを知っていくことや経験していくことって



なんだか自分が広がっていくようでわくわくします




いつもブログに来てくださってありがとうございます


文章にするのはわたしにとって苦手なことのひとつですが


見に来てくださる方がいるので


挑戦していこうと思えます^^



今日もあなたの一日が素敵でありますように






cs_u_u15 at 15:00
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