心理学エピソード

2017年09月20日

いつもカウンセリングをご利用いただいたり

ブログに来てくださってありがとうございます


カウンセリングサービスは電話カウンセリングで

初回無料というシステムがあります。

初めてお話しするカウンセラーとは電話料金の

ご負担のみでご利用いただけるんです。


初回でお話しするとき

なんてお話したらいいかわからないんです

とか

どこからお話したらいいんでしょうとか

とか

混乱しているんですって

おっしゃる方が結構いらっしゃいます。

わたしとしては、何からでもどこからでも

混乱されていても

そこからはじめていきましょうっていうだけなので

何の問題もありませんが

みなさんちゃんとお話ししようって配慮してくださるのです。



今日はこの混乱している状態について

ちょっと書いてみようと思います。

(ちょっとって言いつつまた長くなるんでしょって

 一人突っ込みしながら・・・


わたしもずーっと混乱していたよなーって思うんです。

混乱しているからですね、

本当に人に説明するっていうことができなくて

そんな自分ってダメなやつって思っていました。

今でも自分のことを人に説明する必要があるときは

すごく苦手意識がでます。

特に近い関係では感じます。

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cs_u_u15 at 12:53

2017年08月06日

自己概念という言葉はご存知ですか?


平たく言うとセルフイメージのことです。

私はこういう人といった感じの。

わたしたちは一つだけでなく

いくつもの自己概念を持っているといわれています。

誰でもが持っている概念です。




そんな自己概念がどう私たちに作用するのか、

私のエピソードです。




むかしむかし(昔になってしまった


幼稚園のころです。

なんだったか、発表会みたいなものありますよね。

年に一度の、みたいな。


そこで私たちのクラスは

「みにくいあひるの子」の劇をやることになりました。

主役は大人になった美しい白鳥さんと

アヒルの中で自分はなんて醜いんだろうって

泣いていた小さいころの白鳥さん。

私ともう一人、かわいい女の子が主役候補に選ばれました。

2人でじゃんけんをして

わたしが勝って

「どっちをやりたい?」

そう聞かれました。

わたしは「子供の方」って

即答しました。

記憶力の悪い私もそこのところ

なぜか鮮明に覚えているんです。

ぜったいに美しい白鳥なんか

できるわけがないって。


みにくいあひるの子は

みんなにいじめられて

えーんえーんって泣きながら

舞台そでに消えていきます。


一方、実は美しい白鳥だった

大人になったみにくいあひるの子は

きれいな翼の飾りをつけてもらって

白鳥の仲間たちとひらひらと

舞台を舞うのです。


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cs_u_u15 at 18:21

2016年03月08日

むかしむかし。

とってもひどいことが起きて、苦しかったころ。

なぜこんなことになってしまったのか

どうしたらこれを終わらせることができるのか

ひたすらもがいていた時期があります。

そんなときに私もカウンセリングサービスを知って

今ではカウンセラーとしてみなさんといろんな気持ちのシェアをさせていただいています。


最近、こんな日が来るなんてねぇ・・・と自分で思ったりすることもある私。


カウンセリングサービスを知って、神戸メンタルサービスをしって

毎月のようにワークショップに出て、

たくさんの本を読んで

ネットをあさって


一生懸命でした。

だって本当に苦しいんですよ。


だけどなかなか終わるってことはありませんでしたし

うまくいくっていうことがありませんでした。


その一番はたぶん。。。。



心理学を自分に使うっていう意識がなかったから。



そんな風に思います。


心理学は単なるツールで、それは使われてこそ生きるものなんですね。


でも私は自分にはうまく使えていなかった。


たぶん罪悪感があって犠牲が当たり前だったから。


心理学を使うときってうまくいかない何かに対して

よりよくしたいからだと思うんです。


でも、その成果を受け取る気がないんです。


自分にそんな価値があるって思ってないんです。


そんな私に欠けていたのって

自分を受け入れることや

誰かや物事が展開していくことを信頼すること

そして誰かの愛や自分の価値や機会

そういうものを受け取るっていうことです。


もちろん顕在意識で、頭でそういうことを考えてはいませんが

心の奥にはそういう姿勢が間違いなく存在していました。


よくなったからってそれを喜んで受け入れようっていう気持ちにはなれないし

自分ができないならもうどうしようもないんだって思っていたし

誰かが私のために何かしてくれるなんて発想もあまりなくて

これはあったとしても認められないっていう状況を作りますよね。


そしてまた苦しいのが延々と続く。


その心の奥の自分を変えてあげられたらいいんですけど

私の場合はそういうことも本当の意味では理解することができなかったと思います。

頭ではじゃあそうしようって、考えていて

心の奥ではものすごい否定があって。

その葛藤も気づかないしっていう感じです。


頭と心がバラバラなんです。

自分の中に大きな葛藤があるのでとっても疲れます。


で、それを、そうなってるんだよって

教えてもらい

自分を癒そう

自分に心理学使うんだよって

また教えてもらい

その都度自分がどんな状態なのか、できることはなんなのか

誰かと話しながら

時に実際心を扱ってもらいながら

ゆっくり歩いてきました。


何度も自分に立ち返りながら。


そして人生が変わるときにカギになると思うことは

自分を間違いやネガティブと思える感情ごと受け入れる勇気と

心のエネルギーを信頼に投資すること

それからやっぱり受け取ること。


それに尽きるなって思います。


今たくさんの情報にあふれていて

正しそうなことを見つけると自分い結びつけて考えたりしませんか。

彼を愛そうとか

奥さんを愛そうとか

正しそうな感じですし、誰もがそう思うよねって気になります。

だけど

人は愛を受け取ってもらえない時に本当に傷つきます。

正しいと思えることに一生懸命になるあまり

自分に向けられた何らかの愛に気づけず

受け取らなければ、

ないのと同じにしてしまいます。


自分が傷ついているのと同じように

相手がそんな気持ちを感じてしまうかもしれません。


愛したかっただけなのに、相手を傷つけてしまうなんて

そんな結果って悲しすぎますよね。


いろんなツールがあってそれをどう自分に使っていくか

今の自分に合っているのはどれか

そういうことをきちんと受け入れて

当てはめていかないと

せっかくのツールも努力ももったいない


誰かの何かのヒントになれば幸いです





   ☆ご予約は☆


   06−6190−5131


   06−6190−5613


予約センター営業時間:12:00-20:30。

月曜定休。祝日の場合は翌営業日休み。






































cs_u_u15 at 12:24

2016年03月06日

前回記事の捕捉になります。

ごめんねって言うことや

言ってもらうことに抵抗のある場合

ってあると思います。

そういったコミュニケーションのわだかまりみたいなものにも

心の奥の感情が関係しています。

自分のことを悪く思いすぎているとごめんなさいっていうことは

それが明るみに出る、そのことを認めてしまう

その感情が怖すぎると、謝ることができません。

ごめんね=自分が悪いんだー

ということになってたりして。

これは罪悪感の強い場合です。

また、自分のことをあまりにもちっぽけに感じていても

自分が謝るということの意味や価値を見出すことができませんので

謝らないで過ごしてしまうことになりやすいです。

謝ったからって、どうなるもんでもないし

みたいな。


もしもそういうところが自分にあるかもしれないと感じたら

一度誰かとのコミュニケーションを見直してみてもいいかもしれないですね。


感情に縛られた私たちは

実際はどうなのかといった中立の視点を欠いています。

そして目の前にいる誰かさんがどう感じているかよりも

自分がそう感じているんだからということにより行動し続けてしまいます。


ちょっともったいないんですよね。


関係というのは誰かと私、両方があって成立しますから

大切にしていきたいときはその参加者である二人、

まずは自分の心に気づいてあげて

相手を尊重してあげつつ、近づいていくことが

誠実な姿勢といえると思います


わかっているけど、できないんだよね、のそんな時は

実際に感情を見ていくことはとても効果的です。


なーんて



わたしも自分のことはわからないことがいっぱいです。

偉そうなことは言えないんですが

やっぱり誰かに見てもらって教えてもらったりしたことは

一度は素直に受け入れてみようって思っています。


誰かとの関係がより親密で実りのあるものになりますように


参考になりましたらうれしいです






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cs_u_u15 at 18:04

2014年02月02日

2月になりましたね。


2014年ということにすっかり慣れてきましたが、今年の方向性は見えてきたりしていますか?



毎日、何度も何度も娘に言われるワードで


「おかあさん、みててね」


「みてみてー」


というのがあります。


もうほんとうに何度でも言います。


私が適当に返事だけしていると


「おかあさん、かんなのおかお見て」


といいます。


目を合わせていないと「みてないでしょ」


と言われます(笑)


どんだけ見ててほしいんだと思いますが


私たちの中にこの子供のマインドは今も存在していて


見ていてもらうことには安心感や受け入れてもらっている感じ


自分の存在の確認を得られること


たくさんの活力につながる力があるなぁと感じます。


見てみての嵐にさらされてちょっと疲れていた私。


かんなは3歳のこどもらしい時期なので


一人でいろんな遊びもしています。


集中していると小さい体で一生懸命何かしているので


とてもかわいいなぁと思って眺めています。


そんな風に何気なくうしろ姿を眺めているときに


いまわたしが「なんてかわいいんだろう」って見つめていることは


かんなには伝わってないんだ。と思いました。


だってこっち見てませんからね。


そして見られていることに気が付くと、うれしそうに


なんでこういうおかおで見ているの?と聞いてきます。


そのたびにかわいいなぁと思ってだよとか伝えますが


とてもうれしそうにします。


私にとってかんなが喜びの源なんだよってことは


何度でも確認したいことのようです。


そうじゃないように見えること、きっとたくさんありますからね。


忙しそうにしていたり


お仕事のことを考えていたり


怒っていたり


そんなときには、そんな私に共鳴してしまいますもんね。


こどもは好奇心の塊で、うれしいこと楽しいことあったかいこと


大好きですけど


そういうあり方に大人が付き合えないことは多々あって。


最近カウンセリングの中で


受け取ることに関するテーマに出会うことが多く


ふと考えさせられました。



誰にでもこういうことってあるんでしょうね。


自分では気が付かないところで


背中に向けられていた温かいまなざしのこと。



問題や苦しい感情にとらわれていて、それに集中しているとき


自分にはそれしか見えなくなっていたりしますよね。


でも見えないこととないということは違います。


とってもわかりにくいかもしれないし


逆の表現ばかりということもあるかもしれません。



それでもきっとあるんです。



いろいろな状況の中で、あったかもという視点にたてたとき、


それを受け入れられたとしたら


受け取るということが起きるんだと思います。


受け取ることは行為として説明しにくい部分もありますが


それが起きた時は自然と感謝がわいて来たり


それによって元気が出たり


喜びにつながります。



受け取れないことに気づいていたり


受け取ることがテーマの時はちょっと目安にしてみてくださいね。






cs_u_u15 at 14:49

2014年01月12日



昔々パートナシップとか人間関係とか

何もうまくいかないと感じていたころ


そういうとき

とっても頑張って何とかしようと思っていました。



苦しむし・・・もがくし・・・いいと思うこともしてみるし



でもあんまり成果がなかったです。




そんなとき友人が



「もしも腹の底から本当に願ったら手に入るよ」



と教えてくれました。




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cs_u_u15 at 15:30

2014年01月10日


今朝はだいぶ寒かったですね。


ご機嫌いかがですか?


温かくして過ごしてください。




「自分さえ我慢すればいい」




以前に好きな人が言っていたセリフです。



私はいろいろと忘れっぽいですが


この言葉はとても心に残っています。


痛みとして感じたことを覚えています。



そして時々思い出していました。



一見、美しい犠牲精神のように見えますが


幸せとは遠い選択をしている言葉です。



もしもあなたがそう思ってしまうとき


ちょっと逆の立場からも考えてみてもらえたらなぁと思いますが




自分さえ我慢すればいいから


我慢しよう




そう思っている大切な人を思い浮かべてみてくださいね。





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cs_u_u15 at 15:37

2011年09月18日

3連休の方も多いでしょうか?

皆さんはどんな週末を過ごされていますか?


我が家は先週も本日も海に行って来ました。

かんなはまだ小さいので、波打ち際でつきっきりで

自分の自由にはそんなにはできていないかもしれませんが

砂まみれになって、初めての砂遊びをしたり、波を見たり

犬を見つけて「わんわ!わんわ!」と言ってみたり、楽しそうでした。

かったんはもう9歳なので、「待っててね。」といっても

どんどん海に入ってしまいます。

思いっきり楽しそうに波に飛び込んだり、浅いところで腹ばいになったり

貝殻を投げてみたり、寝転んでみたり、知らない人とおしゃべりしたり。

楽しくてじっとしていられないようで

「写真撮るよー!」呼ぶと、ちょっと迷惑そうにしていました。

早く好き勝手に動き回りたくて、じっとしていなくちゃいけない

ほんのちょっと写真を収める時間さえ待ちきれないようでした。

好き放題に遊んでいるときの楽しそうなかったんは、

とっても輝いていました。


かったんの姿はほんとうに「我慢のない状態」で

「魅力全開の状態」でした。(親バカってだけではなくですよ!)



我慢というのは、自分で今そうしようと思うものと

知らずに諦めてしまっていて、欲求や表現したいものがあるのにも関わらず

それを自分でもわからなくなっているようなものとあるように思います。

わからないときは、対処もできませんから

しんどさというのも募る一方・・・な感じになってしまいますね。


我慢はそもそも、「本当はこうしたいけど」というものがあってのものです。


本当はどうしたいのか、そういうものを持っている自分を

たくさん我慢させることで、手に入れているもの。


それは自分自身を満たしてくれているのでしょうか。


我慢しなくちゃいけないとか、どうしようもないと感じていたり

自分はそういう役回りなどという、自分の中にある「当たり前」

そういうものを使って、結局我慢してしまう。


そんなとき、

こうしたいな。とか、これがすき。

うれしい。たのしい。

という、自分自身の心が喜ぶことや、楽しむという大きな魅力の部分も

一緒に我慢させてしまっています。


とてももったいないです。


かったんも、我慢することもありますし

私がそう教えることもあります。(ゆるいんですが^^;)


でも今日、海で思いっきり満喫しているときは

かったんは本当に楽しんでいて、楽しそうで

きらきらしていました。


私もつられて、楽しくなりましたし、改めて、なんてかわいいんだ!

(これは親バカかも^^;)と思いました。


我慢しなくていいというお話をすると

自分がとっても自分勝手になってしまうと思われる方は多いと思います。

それもまた誤解で、行動と直結させてしまうとそうなってしまいますが

気持ちや感覚は、自分と繋がって、活用してあげるものなんです。


嫌いがわからなければ好きもわからなくなりますから、

自分が何に対してどう感じるのか

自分で知ってあげてほしいと思います。

そして何を感じようとも、ただ感じているだけなので

それを許してあげてくださいね。


そういう私は「好きな言葉は忍耐」という祖母に育てられたので

頭ではそんなのナンセンスだと思いながらも

「おばあちゃんが我慢してるから、あたしも我慢しなくちゃいけないんだ」

絶対!でした(笑)


時代背景もそれぞれ違うので、おばあちゃんの観念を採用しても

うまくいきませんでした。


うまく行くやり方や考え方がどんどん採用できたらいいなぁ・・・☆

私も、いつも応援してくださる方も、カウンセリングを受けてくださっている方も。



更新の遅い私のブログですが

いつも読んでくださってどうもありがとうございます。


カウンセリングを再開できまして

本当にうれしく、とても感謝しています^^


































cs_u_u15 at 22:47

2010年02月01日



節分、立春と暦の上では大きな節目を迎えましたね。


みなさんはいまどんな状態で


どこに向かって節目を迎えているでしょうか。


自分にとって本当に望ましいほうに向かって


ひとつの節目を迎えられていたら


とっても素敵ですね





今日はまじめに心理学のお話です。


変化が起きると大なり小なり私の心には抵抗感が生まれます。


みなさんはそんな自分に心当たりはありますでしょうか^^?






「抵抗」という言葉が表すのはどんな状態だと思いますか?


そのまま素直には受け入れられない気持ちがあるとき


その状態に抵抗してしまうことってありませんか?





カウンセリングやセラピーなどによって、


心に変化を起こしていく癒しのプロセスでは


内側に変化が起こることで外側にあるものに対する反応が変わったり


外側に変化が起こることで、意識できないでいた部分に


変化が起きたことを見ることもができたりします。



カウンセリングやセラピーに限らずとも、


人間の成長の過程に変化はつきものです。



変化が望ましい状況にあって、変化が起きたのにもかかわらず


それを素直に受け入れられないとすると


そこでは一体なにが起きているのでしょうか?






そうしたいと願っていたのに、そうなることに抵抗してしまう


ここで、今までの状態や習慣、反応といったものと


新しいパターンとの間で摩擦が起きたりすることがあります。




頭では、よりよくなるためにという方向を向いています。


仮に自分がよりよくなることを許せない理由になってしまうような感情が


心のどこかにあったとしたらどうでしょうか。



頭ではこっちにいきたいと願っているのに


感情的に何かのブレーキがかかってしまっているとしたら


心はそうしたくないと踏ん張っている状態です。


「こっちに行きたい自分」=頭と、


「行ってはいけないと思っている自分」や「行きたくない自分」=心との


綱引きのような状態になってしまいます。


それは自覚できないままに、あっちにいこうこっちにいこうとして


力を使うのですが、方向が定まらないために消耗ばかりしてしまったり


まったく動けくなってしまったりします。




これは、なぜかわからないけど疲れてしまったり


いいと思われる状態なのにそう感じられない


理由がわからずにいらいらするというような形で現われてきます。





それは人の心が変化に対してストレスを感じてしまうことや


たとえ自分にとって望ましいものではなくても


慣れている状態を保持したい=慣れている感情を感じたい


という感情や脳の性質があるからかもしれません。



環境や状況に変化があるにもかかわらず、


その変化を受け入れることが難しい状態のとき


思考VS感情という自分自身の中の不一致が


葛藤や怖れを生み出してしまい、心理的な抵抗状態が出来上がります。




そんなとき、頭と心を一致させてあげるためにも


少し意識して自分の心を見てあげてほしいなと思うんです。




私たちの心は普段意識していない部分が多く


そこに感じたくない感情を放り込んで


なかったことに、見ないようにして生きています。


すると自覚することもない場合もあります。


でも残念ながらなかったことにならなかったりするんですね。



どんな感情が自分のよりよい変化に対して


抵抗感として現われているのでしょう。



そんな自分の感情を捕まえてあげることができたら


それに対処しながら


本当に自分の望む方向に向けて


抵抗感を減らしていくことができ、今まで以上にいいものを


受け取っていくことができるようになります。



そんな変化って本当はとっても素敵なものですよね。



自分では意識できない部分にネガティブな感情があって


わたしたちはそれによってネガティブな自己概念を持っていますが


そこにはもっともっと理解を深めることができます。


そしてその先にはさらに意識できなかったポジティブな感情や


ずっと前に忘れてしまった純粋な自分自身が埋まっていたりします。



抵抗感も自分自身につながるきっかけのひとつとして


それも超えて


みなさんがより幸せな自分へ向かう道への


ヒントにしていただけたらうれしいです。





cs_u_u15 at 17:07

2010年01月27日




今日も日中はあったかくなりましたね(*'-'*)




いいことがあったのにもやもやいらいらしちゃうことってありませんか?



そんな気持ちの下に隠れてるものってなんでしょうか?



今日はわたしのそんなエピソードです






*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜




先日、父(60歳)がご近所に引っ越してきてくれたんです。


2年くらい、ちょっと離れた距離で暮らしていたんですね。



父はもともと板前さんでした。


祖母が年を取ってからというもの


いつも晩御飯を作るのが父の親孝行のひとつで


わたし達に不器用ながら愛情を表現するアイテムでした。



新しいお家に引っ越してから、本当に久しぶりに


父の手料理をご馳走になったんです。


すごくおいしかったです



だけどなぜかわたしの心はいらいらもやもやしていたんですね。



頭ではいいことだと思っているけど




嬉々として、子供と遊んでくれたり


ニコニコしておいしいご飯を作ってくれたり


この前なんて、面談カウンセリングから帰ると


駅までお迎えに来てくれたりして。。。


なんだかすごーくうれしそうなんです。




・・・・・・それを見てわたしはなんだか



・・・むかついてしまうんです(笑)




それは、とっても望んでいたことなんですが、




いまさらねぇ・・・なんて気持ちや


ちょっと・・・こうなるのにわたしがどれくらい大変な思いをしちゃったか


わかってないかもしれないと思うと・・・


何で子供のときしてくれなかったの!(笑)とか


あんまりにもなれていない感じとか


そういうのがいろいろともやもやしていたみたいです。



なんだかうれしいのに悲しくて


それは昔はなかったかもしれないけど


いまはお父さんが「おかえり」って気持ちで


私たちのことを考えてくれている安心感があって


出てこられた悲しみかもしれないなって思いました。



絶対


絶対に無理


そう思っているとき



これがほしいって言えません。



大丈夫かもしれないっていうときに



ちょっと安心して



今までは隠しているしかなかった気持ちが出てくることもあります。



わたしは今日はもやもやしまくったのですっきりしたのか



なんだかおうちに帰りたいって気持ちになったんです。



すごくお家が恋しくなって。



それは以前のわたしにはなかった気持ちでした。



あったかいお家って感じられなかったから



帰りたいと思ったことなんかないんです。



いとこのお家やお友達のお家にお泊りするのが



だーいすきな子供だったんです。



でもいまは自分のお家に帰りたいって気持ちになります。



それは大好きな人のそばかもしれないし



自分のお家かもしれないし



心の中では



父が笑って受け入れてくれている感覚を持てる場所かもしれない



そして本当にもやもやしていた気持ちの下にいたのは



帰りたいっていう気持ち、



お家が恋しくて、でもいえなくて悲しいような感じ。



そんな気持ちが隠れていました。



求められないと思っていたけど



いまはもう求めていいのかもしれないということを



わたしに教えてくれる「もやもや」だったかもしれません






ときどきそんなもやもやな気持ちになってしまうことってあります。



そんなときは、本当に自分の気持ちを大事にしてくださいね。



もやもやの下にも何かのギフトが隠れているかもしれません



たくさんのギフトにふさわしい自分を



そういう風に扱ってあげてくださいね




cs_u_u15 at 17:46
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