2018年05月14日
「今日はまだしてない〜」
こんにちは。
眞田遊子です。
関東は朝雨が降っていましたが
だんだん晴れてきて、今日はいいお天気みたい。
「ママー」
そう娘が近づいてきていいます。
「今日はまだしてないよ」
って。
「ぎゅってしてない」
って。
・・・オイー(* ̄∇ ̄*)
可愛いんだからほんとに。
そういってぎゅーってさせてくれます。
なんてかわいいんだろ。
あったかくてやわらかくて
やさしくて、そうしたらよろこんでくれて。
あーしあわせ。
そう感じられることが幸せです。
スキンシップは安心します。
わたしは本当に母に抱きしめてもらうことはなかったけど
娘を抱きしめられることで、そういうぬくもりもらっています。
もらうのもあげるのも、同じだなって思います。
娘を抱きしめながら
抱きしめてもらってるみたいなことを感じます。
もらいたいんであってあげたいんじゃないしってね
拗ねてた時が懐かしい・・・
与えるのと受け取るの、同じです。
わたしは自分のことを感情的な人だって思っていました。
だけど、それはちょっと間違っていました。
感情的になることは今でもあるけど
本当に感じていることに触れてはいなかったんだろうなって
いまは思っています。
確かに感じているんだけど、上っ面といいますか
自分の感情じゃないといいますか
感じているっていうより想像している感じといいますか
出てくるものを味わうんじゃないんですよね、うまくいえないんですけど。
わかるもので出てくる感じといえば
怒るか、うんざりするか、くらいだったなぁと思います。
気力もないし、体も実際重たく感じて動くのが大変で。
(これ書きだすときりがないのですが、抱えている感情のせいなんです)
だいぶ麻痺していたんですよね。させていたのかな。
怒りは蓋だからね。悲しみとか罪悪感とか不安なのを隠すためのね。
怒りも感じられないっていうのはもっと切り離しているような感じ。
怒ってもどうしようもなくてあきらめちゃうこともありますからね。
そういうのつらいものです。
なんか、ほんとにとんがってた。
いまもとんがってるかも笑
眞田遊子です。
関東は朝雨が降っていましたが
だんだん晴れてきて、今日はいいお天気みたい。
「ママー」
そう娘が近づいてきていいます。
「今日はまだしてないよ」
って。
「ぎゅってしてない」
って。
・・・オイー(* ̄∇ ̄*)
可愛いんだからほんとに。
そういってぎゅーってさせてくれます。
なんてかわいいんだろ。
あったかくてやわらかくて
やさしくて、そうしたらよろこんでくれて。
あーしあわせ。
そう感じられることが幸せです。
スキンシップは安心します。
わたしは本当に母に抱きしめてもらうことはなかったけど
娘を抱きしめられることで、そういうぬくもりもらっています。
もらうのもあげるのも、同じだなって思います。
娘を抱きしめながら
抱きしめてもらってるみたいなことを感じます。
もらいたいんであってあげたいんじゃないしってね
拗ねてた時が懐かしい・・・
与えるのと受け取るの、同じです。
わたしは自分のことを感情的な人だって思っていました。
だけど、それはちょっと間違っていました。
感情的になることは今でもあるけど
本当に感じていることに触れてはいなかったんだろうなって
いまは思っています。
確かに感じているんだけど、上っ面といいますか
自分の感情じゃないといいますか
感じているっていうより想像している感じといいますか
出てくるものを味わうんじゃないんですよね、うまくいえないんですけど。
わかるもので出てくる感じといえば
怒るか、うんざりするか、くらいだったなぁと思います。
気力もないし、体も実際重たく感じて動くのが大変で。
(これ書きだすときりがないのですが、抱えている感情のせいなんです)
だいぶ麻痺していたんですよね。させていたのかな。
怒りは蓋だからね。悲しみとか罪悪感とか不安なのを隠すためのね。
怒りも感じられないっていうのはもっと切り離しているような感じ。
怒ってもどうしようもなくてあきらめちゃうこともありますからね。
そういうのつらいものです。
なんか、ほんとにとんがってた。
いまもとんがってるかも笑
ほんとうはよくわかってなかった
ずーっと前、上の子が幼いころ。
「子供があなたのこと大好きなのは、わかるでしょ?」
って聞かれたことがあります。
そりゃそうだ、と思う。って感じでした。
たぶん、そうなんでしょうね。
みたいな。
あんまり感じられていなかったんです。
でもそれは受け入れざるを得ないようなことでした。
誰も、信じられなくても
こどもがまっすぐわたしを見ているっていうのはなんだかわかったから。
ひっくり返したら、「ほかはわからなくても、それはわかるでしょ?」って
愛されてるとか
大切に思われてるとか
スキーって感じてくれるとか
そういうことが
感じられてないでしょって言われたのかもしれないって思います。
いろんな理由で、感じなかったなって思います。
だからこそ今感じられるのがしあわせです。
わたしたちはつらいこと
自分では処理しきれないことがあると
感情を最小限にしようとしたり
抑圧して、なかったことにしたり
切り離して感情そのものからも切り離されてしまったり
自分を守るために、そうすることでなんとかやっていこうとしたりします。
そうしないと保てないから
そうしないと、生きられないんじゃないかって思うからです。
そんなことはたいてい忘れられていて
だけどやっぱり問題として、自分の人生で出会ったりします。
つらい感情を感じないために
喜びの感情も感じなくさせてしまうなんて
知らなくて
つらい感情と出会わなくてすむように
感情そのものを切ってしまいます。
そんなことってできるものなんだなぁって
自分を通して知って
たくさんの人の中に
同じように感情に対処するいろんなやり方があるって知りました。
麻痺してしまうくらい抑圧する
諦めるために気持ちを遠ざける
感じたくなくてなにかとすり替えたり
逃げたりしちゃう
あの痛みを感じるくらいならこの痛みは我慢できるわとか
知らずにしてしまいます。
でも自分から逃げるなんてことって
やり続けるのすごく大変です。
感じられなかった痛みがあると
それを感じていくのも
やっぱり今痛みとして感じますから
とてもしんどいです。
だけど、抱え続けるよりは終わらせていくプロセスを信頼してあげた方がいいです。
ずっとこれ感じられなかったっていう
悲しみや苦しみ、たくさんの自己攻撃や批判
そういうの、ちゃんと感じてあげると
ちゃんと理解してあげると
その先に許されてるっていうところがあって
隠さなくて済む度合だけ
喜びも楽しさも感じることができるようになります。
いま、生きていることを感じられるようになります。
わたしがほんとうにしてもらえなかった痛みを超えられなかったら
娘を抱きしめてあげられなかっただろうなって思います。
だって、すごく抵抗感を感じると思います。
わたしはしてもらえなかった
してもらわないのが当たり前
だから誰にもしてあげない
してもらえないものなんだよって信じていて実践していたら
抱きしめてあげられないし
抱きしめさせてもらう経験もできないと思います。
もらえなかったものは
それがどれだけ大切なことなのかを学ぶためにあるみたい。
だからこそあげたいって思える。
痛みを超えられたら
うん、大切だよね。
って自分に与えるのも誰かに与えるのも
できるようになります。
それがなんなのかは、いろいろかなと思います。
自由かもしれないし
触れてもらうことかもしれないし
人それぞれ、大切にしてもらうこと
大切にしてあげるってこと
やり方は違っても
自分にとって大切なこと、好きなものを
大切にできることや、させてもらえること(してあげられること)って
しあわせなことだと思います
いまご自分と向き合われている方たちも
自分を癒すプロセスの向こう側にたどり着くまで
しんどいときもいっぱいあるんですけど
諦めないでいてあげてくださいね。
わたしなりにしかできないけど
ここからいつも応援しています。
安心できる日が来ますように。
笑える時間が増えますように。
いつもありがとうございます