2009年01月27日


今夜も寒いです。
寒いのは、苦手です。


今夜私は、少し泣きたいような切ない気持ちがあるのです。
ちょっと思いつくままになりますが、アップします。


*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*

昔、私は泣かない子でした。
自分は強い子なんだってなぜか思っていました。

いまの私はとても泣き虫なので、大きな誤解かもしれませんが。

でもそれは
頼る人がいないと思っていたり
自分よりも悲しんでいる人がいたから
きっと誰もわかってくれないと思ったから
・・・いろんな理由があったと思います。

でも、感情について
学ばせてもらっていると、こんな風に思います。

悲しいときに泣けたら楽なのにって。
泣いていいんだって。

感情を表す言葉で、喜怒哀楽というのがありますよね。

怒り、哀しみ、は、誰もがあまり感じたくない感情です。
感じていても、認めたくないので抑圧してしまいます。

怒りや悲しみを抑えようとすると、感情そのものを抑えることになります。
喜びや楽しみも、感じられないという結果になってしまいます。

子供時代にどうしようもなくて
たくさん我慢=抑圧してきて

問題と向き合ったときにやっとわかったのは
自分の気持ちがわからないということでした。

我慢が当たり前なので、本当の意味で
自分の求めているものもわからなくなっていたのだと思います。

それは、本当に自分の人生を生きていない状態です。

そんな状態でした。

思い出すとやっぱりちょっとせつないです。



悲しいときに涙を流すことができて、
いやなことにいやだといえて
うれしいときに、子供が隠しきれなくて笑顔がこぼれてしまうように喜べる。
それから、いろんなことを楽しんでもいいし、おもしろいって感じられる。

そんな感情的な自由があるいまは、とても楽になりました。

泣けなかったハートは、喜ぶこともできませんでした。
でもそれが、喜べるハートになったんですから。

感情は感じてあげる、認めてあげるとだんだん消えていきます。
たくさんたまってしまった気持ちは、一瞬で消えることはないかもしれませんが、
感じたくなくて抑圧して、心がいっぱいになってしまうほどになっていたら
やっぱり解放してあげることをお勧めします。

その気持ちたちも、感じてほしがって
何か問題を持って、自分に教えてくれているかもしれません。
もしもなにかがうまくいかなかったら、
自分の気持ちを見つめていくということをやってもいいと思うんです。

それは自分を取り戻す、自分の人生の主人公になるような感じですよね。

もともとは、感じたくなかったから、心に溜め込んでしまった気持ち。
だからこそ見るのがつらいこともあるかもしれません。

でもそこにはきっと、自分でも気づかないままの
何かの理由で我慢した、誰かのためにそうしてきた
そんな健気なハートがいっぱいです。

私はそんなハートが愛しくてたまりません。

そして、楽しいときに本当に心から笑えるように、
たくさんの人がそうあるように願っています。

カウンセリングで、そのお手伝いができること
そんなあったかなハートを見せていただけること
本当にすばらしくて感謝したい気持ちでいっぱいになります。
だからこそ、もっと幸せになってと願います。

私も、もっとそうなれるように、自分に正直であるように
がんばってみます。

あなたがもっとたくさんの愛にふさわしい自分自身に気づけますように


必ず春はやってくる(^_^)







2009年01月23日


皆さんは元気に過ごされていますでしょうか

今日は私がはまりにはまった
「くるしい」って気持ちについて
考えてみようと思います。

よろしかったらお付き合いくださいね


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苦しいって本当にいやな感じですが、
苦しいんだって気づかなかったころを思うと
最近は人間らしく(笑)
苦しいときに苦しいとわかるようになりました。

何でこんなに苦しいんだろうっていうことで
何度も何度も
苦しみました(笑)
なんかちょっとマゾっぽいですが。

私が苦しんで気づいたことは
苦しいときには

・自然に逆らっている。

・自分のことしか見えなくなってしまうOR自分のことをできなくなってしまう。

・何か大きな勘違いをしている。

・何かの変化がおきていて抵抗している。

そんなことが起きていたと思います。

苦しみの中で何かのヒントになればと思い
それぞれちょっとまとめてみたいと思います。
が、長くなりそうなので今回はこちらです。

☆自然に逆らっているとき☆

感情面のお話ですが、感情というものは頭でコントロールするものではありません。
自然に感じてしまうものが感情ですよね。

よく聞く言葉だと、喜怒哀楽という感情を表すものがありますが

私たちは怒りというものに罪悪感を感じます。

何かに対して怒りの感情を持つといやな気持ちになりますし
そんな自分を責めてしまいます。

そうするとそんな気持ちにさせた何かや誰かに対して、〜のせいで
といいたくなってしまいます。

でもそれもまた気分のいいものではなくて、ここでは悪循環にはまりまくりです。
 
ただ、そう感じることにいいも悪いもないですが
感じることを、「そんなこと思っちゃいけない」と
やってしまっていたときにとっても苦しかったです。

感じていることを抑えるためには
感じているものの倍くらいの力が必要ですよね。(たぶん)

それは大変だし、つかれます。

感じることは、ただそう感じていること。

自分の中にある何かにつながるヒントだったりします。

自分が感じていることをそのまま感じてあげる。

ただそういうことが、とても難しくなってしまっているのは
感情に振り回されてしまうということを恐れているからでしょうか。

でも、振り回されないこともできます。

それに、感情は何層にもなっていて
感じていくほど自分の本当の気持ちや望みに近づいていくことができます。

自分が感じていることを理由に誰かを傷つけたりしたくない

そう思うからこそ、我慢してしまった
そんなとってもやさしい自分に
本当に本当にやさしくしてあげたいものです



cs_u_u15 at 14:20
私の疑問 

2009年01月22日

今日は、これは奇跡だったなと思えることを書いてみます


私は産みの母と会ったことがありませんでした。
生後一ヶ月に満たないくらいで、離れてしまっていましたので
記憶にはまったくなく、会ったことがないになります。

初めてワークショップで自分の問題を扱ってもらったときに
母のことは、私の中で
とっても大きなタブーだと言われたことを覚えています。
本当にそうなんですが、当時の私には?????でした。

タブーってそういうことかもしれません。
禁止しないとさみしいじゃないですか?
でもさみしいっていってもしょうがないのです。
つらくなるだけなのですから、
母に関することすべてにふたをしてしまいました。
かなり無理がありましたが、
そこではそういうルールなんだと思っていました。
家族に遠慮していたのもあったと思います。

自分ではわけもわからずに泣いていたりしました。
ふたをしても、心のおくには「お母さん恋しい」って
母を、知らなくても求める気持ちがあったのでしょうね。

だから、なぜ母と離れたのか、そのいきさつさえ
知らなかったも同然でした。

心理学を学びだすと、お父さんとお母さんとの関係を
たくさん扱っていました。
お父さんとの関係が恋愛や仕事に影響するとか
お母さんとの関係が恋愛や人間関係に関係するとか

・・・大変じゃないですか

会ったらよくなるのかなぁ
とか
聞きたくないこと聞かされるのかな
とか
変なしがらみが増えたりするんじゃないのかな
とか
思っていました。

思いながら、やりたくなかったのでやらないと決め込んでいました。
そんなこと無理とか
やってもしょうがないよとか
自分で自分に言い訳していました。

でも
がんばってもがんばっても
いろんなことがあまりうまくいかないのです。

お母さんにあってみればいいのになんて言われても、
やりたくないのでスルーでした。
いろんな挑戦をして、問題にはそれなりに向き合って
がんばってがんばっていました。
でもよくならなくて
もう疲れてしまったときに
急にまだこれやってないやって思いつきで
やっとその気になったのです。

ただ会ってみようと思ったのです。

家族にそのことを伝えました。
なんか、会ったほうがいい気がするからって。

そのときに気づいたことは、私が一人で気を回していたなということ。
父も、妹もおばあちゃんも、反対意見なんてまったく言いませんでした。
お母さん情報の交換なんかが始まったりして。

そしてそれから何日かして、
会えたのです。

妹の勤める病院に母方の祖母が入院して、
もう危ないといわれて家族が集まっていたのです。

その日は私の30歳の誕生日。
私は母や初めて会う祖母や祖父のいる病院に行きました。
まとめてたくさんの親戚にもあったので
本当に怖くて疲れた日でしたが、
現実はドラマよりもドラマチックでした(笑)
そして会ったこともないお母さんは
私とそっくりだったのです^^


私にとって長い間蓋していたものが壊れて
新しい扉が開いた日でもあります。

そして決めたら簡単に実現したということ。

私がしたことは家族に決めたと伝えたことだけです。
何をどうしたらとかまで考えていませんでした。
手段よりも目的地です。
そうしたら物事がそういう風に動きました。
周りが助けてくれたのです。

奇跡みたいv( ̄∇ ̄)v

私が「私にはお母さんはいない」という
思い込みを手放したからという見方もできますね。

ちなみにおばあちゃんは退院しました。
私たちが会えるようにちょっと具合悪くなってくれたのかも。。。


なにもかも
私にそれを受け取る準備ができるまでの
プロセスだったのかもしれません。


その後、たくさんの痛みが噴出したりしましたが
それはもともと私が隠してしまったもの。
私のものなので、自分が認識してあげることで
すっきりしたり、父や母や自分への理解が進んだりです。


でも、まだまだプロセスは続くのです。
より幸せになるために、継続中です^^




本日もPC作業をしている私の後ろでは
ネオ(猫ちゃん・生後4ヶ月くらい)が元気に・・・
かったんの手袋を食べています。
私のセーターもなんと4枚も食べたのです。
全部じゃありませんが、着られません。
ぽっかり穴を開けてしまうので、ゴミ箱へGO!です。
なぜ毛糸がすきなのでしょう。。。ちょっと厚みのあるお洗濯物は
すぐにしまうべし!

ネオのおかげで洗濯物が山にならなくなった眞田家なのでした



2009年01月21日

我が家の子猫ちゃんのお話です

心理学では手放すとかいうお話はよく耳にも目にもします。
これをご覧のみなさまも、ご存知かもしれませんが
手放すと新しいものがやってくるのです。
今日はそれって本当だぁというエピソードです。

猫は名前を「ネオ」といって、去年の10月に
新しく家族の仲間入りをしました。

一昨年の10月に祖母が亡くなって
去年の10月に納骨でした。

祖母をお墓に。

世間では、亡くなったら当然のように行われていることが
眞田家では一年がかりになってしまったわけですが、
そのときに、お墓にいたのがネオでした。

家族を失ったということを受け入れるのに
一年かかってしまったのかもしれません。
本当に受け入れるというのは心の深いところで
納得するというような感じで
それができるようになるまで
毎日普通に過ごしていたし
脳腫瘍で余命宣告もあったので
覚悟もしていたのに
やっぱり現実として受け入れることが
できていなかったのかもしれません。

それくらいおばあちゃんの存在は大きかったんですね。

でも不思議なもので
心でそれを納得する=手放すことができると
スペースができます。

よし。納骨だ。
って手放したときに、スペースができたのでしょうね。

そこにぴたっとはまってくれたのがネオでした。

私は「おばあちゃんからのプレゼントだ
と思ってしまいました。
おおマジで、です。


まだ生後30日くらいだったので、
ミルクをあげたり、おしっこさせてみたりと
手がかかりました。
でも今思うと、
そのおかげか、おばあちゃんのことで喪失感を感じることが
なかったように思います。

そして、かったん(息子)と2人暮しだった我が家が
にぎやかになりました
かったんは自分のことを「おにいちゃんだよー^^」
といっています^^
当然の結果ですが、コミュニケーションも増えて、
ネオを介して、家族っていいなぁと思えたり
こんなに楽しいなら、もっと増えたらもっと楽しいかもと思えたり。

2人?がかわいいのでハートがきゅーんと膨らんでしまいます

手放したら、とたんにやってきてくれたのです。
教わってたことは本当だなぁと思えた出来事でした。

そしてもうひとつの学び。
おばあちゃんに育ててもらった私。
これからは私が育てていくんだということ。
してもらってきた、子供時代は終わってしまったということです。
どんなにいやだといっても、大人になっていたのです。

でもそれは
できることが増えたことなのかもしれませんね

手放したほうがいいとわかっていても
難しいことはたくさんありました。
自分のペースでかまわないと思います。

私は全然できなくて、手放して、また同じものにしがみつく。
そんなことを繰り返していました。

でも、もしも苦しかったら
どうか一人でがんばらないでくださいね。
そこに、本当はわかってほしかった気持ちが
まだあるのかもしれませんから。



 

 






2009年01月20日

カウンセリングについて、最近たくさん考えていましたので
少しシェアしてみたいと思います。

私はボランティアでカウンセリングをさせていただいていた期間が
4年くらい・・・だったと思います。


自分はとてもとても疑い深く、
幸せなんてありえないしと思っていましたもので

カウンセリングして何がよくなるの?
とか
何してくれるっていうの?
とか
どうせわかってもらえない!
とか

思っていました。
本当に大真面目にそう思っていたのです。

なので
初めてカウンセリングを受けるまでに
ずいぶんと苦しいのに助けを求めなかったのです。
(ひねくれてますが、ひねくれものにも理由はあったのです。
 それはまたの機会に・・・)

正確に言うと
苦しい自覚がなかったし
認めたくなかったのだと思います。
自分がもうがんばれないことや
問題を持っているんだということ。
あまりにも抑圧していたので
自覚できなかったというのが近いかな。。

でも
初めてカウンセリングを受けたときに
体がとても軽くなったのと
次の日に事態が急好転したのを
よく覚えています。

最近では
「苦しいときだけ使わなくてもいいよね」とか
自分にだいぶ優しくなりました。

わからないことは
わかる人やわかりそうな人に聞いてもよかったんだって
そんなことも自分に許してまいせんでした。
だけど自分のことを外側から見るというのは
難しいです。
そこでどれだけぐるぐるしていたことか・・・



です^^

カウンセリングで何がよくなったかというと・・・

 ☆自分の気持ちがわかるようになる
          ↓
どんな気持ちでいるからどこに行きたいかわかるようになる
          ↓
       対処できる

・・・こんな感じでしょうか。

それから、何してくれるのよ!というのは・・・

本当に自分の味方になってくれたということが1番。
私の利益のために考えてくれたし、
必要なメッセージをたくさんいただいていたように思います。
それから、いやな感情と自分自身を同一視してしまって
さらにうんざーりしているところから抜け出させてくれたような気がします。
そしてわかってもらえないというのも
実際は誤解だったと、今は思えます^^

そんな
悪い子ちゃんな感じでしたので
先輩方や師匠にはたくさんのご迷惑を・・・
掛けたのです。

でも
迷惑なんて思っていなかったかもしれないです。

私が今
ただ
その人が自分らしく生きられるように
願うように
私にかかわってくれた人たちも
そうだったかもしれないと思います。

書いていて
改めて、人間ってあったかいって
ひねくれものも変われるのね、なんて
おさらいになりますね(笑)


まだブログを書くのも恐る恐るですが
やってみると
面白いかもしれません

去年
プロカウンセラーになるという目標があって
年賀状で宣言したところ
達成することができたので、今年の目標を1月のうちに

今年はシングルマザー歴も
7年目に突入してしまいまして・・・
何もかも解禁にしたいと思います。

というわけで
素敵なパートナーシップ

で、幸せになろうと思います
つがいです。
子持ちつがい
幸せでっかいぞぉ

宣言するといいというので生実験です。
みなさま、年末までに私の幸せレポートをご期待ください^^
ちなみに
今は気配さえありません(* ̄∇ ̄*)エヘヘ



cs_u_u15 at 02:13
私の疑問 
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